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2010年日本平和大会in佐世保

ども・・・

佐世保から帰ってきました 早速報告(長文)です

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 今年の2010年日本平和大会は、12月3日から5日まで、ヒロシマと同じ被爆地、長崎県の佐世保市で開催されました。全国から1200人が参加して各地で取り組まれている米軍再編強化に反対する闘いや、沖縄の普天間基地返還・辺野古移設に反対して連帯する運動を交流しました。

早朝6時30分に広島駅から13人の代表団を乗せたバスは13時30分に無事佐世保に到着。初めての佐世保は、思っていたよりも、大きな新しい道路や建物が目を引く“意外で不思議”な街でした。
Photo 到着後、さっそく市内を一望できる弓張展望台から基地視察。海岸線が八つ手の葉のように美しい佐世保湾と200以上も小島が浮かぶ五島列島。そして、海岸には基地や弾薬庫、海面には戦艦が浮かんでいるのが一望できました。
すり鉢状を描く市街地は、美しい海に面した中心部を米軍司令官部と海上自衛隊の基地が占め、市民の住宅は山側に追いやられたように位置し、佐世保湾の83%もが米軍への提供水域となっており、市民が制限なく活用できるのはわずか17%ということでした。また、平坦部の少ない市街地域の約20%を米軍、海上自衛隊などの基地で占められているという佐世保はどこか呉と似ていると感じさせる街でした。続いて船に乗って、佐世保湾内から弾薬庫や貯油所などを視察しました。
佐世保基地は、沖縄の海兵隊と一体の強襲揚陸艦(エセックス)部隊の拠点で、米国外唯一、米軍の遠征打撃群の母港でもあり、西太平洋の燃料・弾薬補給の拠点となっているということでした。また、自衛隊をイラク・アフガニスタンへ派兵する“日米安保の危険が集中している基地”ということで、国と佐世保市は地域住民との衝突を回避するため、私たちの血税「思いやり予算」を大増強し、新基地建設や、米軍のための高速道路をはじめ、基地機能強化のための建設工事費は1,564億円。そして、道路特定財源28億円を投入して建設した米軍将校住宅11戸など市内のあちこちで“米軍に至れり尽くせり”の現状を目の当たりにしました。F1020405
 視察後、アルカス佐世保で開かれた全体集会は、地元の中学生に合唱やよさこいがオープニングを飾り、全労連の大黒作治議長が開会あいさつ、その後基調報告として、日本平和委員会千坂事務局長から、沖縄県知事選では基地の無条件撤退を掲げた伊波さんが敗北したものの、当選した仲井真氏の政策は、告示前に移設容認を「県外移設」に変えた。この変化は明日への展望である、沖縄と全国の連帯を強め、米軍基地縮小・撤去、日米安保条約廃棄にむけて草の根の運動と学習討論を大きく201012041823000 広げようと訴えがありました。その他、沖縄代表団から「基地のない沖縄」への熱い発言、沖縄県知事選で大健闘した伊波洋一さんのビデオメッセージなどが続きました。
 2日目の分科会は第8分科会「自衛隊の戦争体制づくりはどこまで来たか?」に参加しました。「新安保防衛懇報告」と「防衛計画大綱改定」の内容とそのねらいと背景について内藤功弁護士から話を聞きました。日本はアメリカのQRAに応えながら「平和創造国家」「動的抑止」をかかげ、自衛隊に関わる法制度と自衛装備・運用の両面で危険な方向に進めようとしている。我々は自衛隊の問題や動きに注目し、裁判闘争などで闘うこと、声をあげ続けることが必要である。また各地域職場で“9条の会”を立ち上げ、9条守る運動とともに“日米安保破棄”の運動を広げようと話をされました。
その後の交流では、自衛隊の国民監視裁判について、をはじめ、愛知・福岡・栃木・岡山・静岡など、各地でアメリカの言いなりで軍隊へ変貌していく自衛隊の現状やその活動が次々に報告されました。広島からは“非核の呉港を求める会”の運動と“反戦水平、坂口喜一郎のDVD”の発言がされました。
 引き続き、夕方から行われた全体集会「全国と世界の運動の大交流会」では、青年の寸劇や歌声、各階層からの発言、そして韓国・フィッリピン・アメリカ・アフガニスタンの4か国の代表から報告を受けました。特に印象的だったのは、アフガニスタンのジャーナリスト、ア201012041641000_2 リコザイさんの、映像を使った「アフガニスタンの現状」報告は、アメリカ軍の劣化ウラン弾による子供たちへの被災状況や、十分な医療も受けられずなくなっていく子供たちの状況には胸をつぶされる思いになりました。戦争が続くアフガニスタンでは、42%が貧困ライン以下の生活をしており、乳幼児の死亡率は25.7%という世界最悪の状況で、70%の国民が清潔な水へのアクセスがないという。「日本政府に求めたいのは、軍事的な支援ではなく民生支援をしてほしいということ。 私たちには軍事基地ではなく病院が必要です。人を殺す銃ではなく食料が必要なのです」と話、カンパを訴えました。
その他、赤嶺政賢衆議院議員や基地受け入れ反対に頑張る徳之島の大久保明伊仙町長が発言し、『日米安保条約廃棄、日本のどこにも基地はいらない』思いを一つにしました。
 3日目は、快晴の佐世保公園で全体集会。そF1020407の後、直線では全国一といわれるアーケード街でのピース・パレード。このアーケード街は、地元の陸上自衛隊が迷彩服で小銃をかかえてパレードする場所。広島から持参した平和の熱い思いの5枚の寄せ書きを持って“日米安保も基地もいらない”と1,200人Photo_2で佐世保市民にアピールしました。

大変充実した3日間でした。派遣していただいた県労連のみなさん、3日間一緒に行動していただいた広島代表団のみなさん、ありがとうございました。

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ちなみに、トンボ帰りで観光もせず、佐世保バーガー食べてません

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